株式会社黒姫和漢薬研究所

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えんめい茶とは

ホーム > えんめい茶 > 対談 C.W.ニコル×狩野
森の生活から時代を見つめて
  1. 黒姫入植
  2. 宮沢賢治、そして桃太郎学校
  3. 延命堂
  4. えんめい茶誕生へ
  5. 武道家が始めた企業

(左)C.W.ニコル
1940年英国ウェールズ生まれ。作家。カナダ、アフリカなどを経て現在長野県信濃町黒姫山麓在住。小説『ティキシイ』(角川書店刊)など多数の著作がある。

(右)狩野 誠(2007年2月15日没)
大正14年東京生まれ。(株)黒姫和漢薬研究所元代表。敗戦後の昭和21年黒姫山麓に入植、翌年同社を創業し現在に至る。

記事の文章等は1986年発行季刊誌の内容を、そのまま掲載しています。


[黒姫入植]
もらった高下駄をリュックに下げて、ここに入ってきたんです

ニコル: 狩野さんが黒姫山で暮らすようになってどのくらいになりますか?
狩野: 昭和21年に来ましたから、もう40年近くなりますね。
ニコル: それじゃ戦争が終わってから。東京から来られたんですよね。
狩野: そうなんです。当時、東京は敗戦後の荒廃した状態で、一面の焼野原でした。政府としてもできるだけ東京から放っぽり出そうという方針だった。東京都庁には北海道から九州まで、全国各地の開拓入植地の地名が貼り出してあって私も探しに行ったんです。
ニコル: じゃあ、その中に黒姫の名前もあったんですね。
狩野: その通りなんです。「黒姫山」という何か神秘的でロマンチックな名前にすっかり惚れ込みましてね。それだけで決心したんですから、今思えば…。(笑)どんな所かもよく知らなかったんですからね。
ニコル: 何かアドバイスしてくれる人はいませんでしたか?
狩野: それが面白いんです。私の先輩にこう言う人がいましてね、「黒姫はものすごく雪が降るそうだから高下駄を持っていけ」と。(笑)「これをあげる。これを持っていけばどんなに雪が降っても大丈夫だ」と。(笑)で、もらった高下駄をリュックサックにぶらさげて、黒姫に入ってきたんです。
ニコル: 高下駄とはね。(笑)ほんとに使いましたか?
狩野: それがですね。私が入植したのが昭和21年の9月なんです。山は紅葉して、それはきれいでした。私はずっと山の上の方に住みついたものですから、そこから見ると野尻湖が箱庭のように見える。それから、今はスモッグで見えませんが、新潟の柏崎から直江津にかけての日本海がずっと見わたせたものです。これはいい所に来た、としみじみ思いましたよ。

ニコル: ほんとに、ここのいちばん良い季節ですよね。
狩野: それがどうでしょう。11月末あたりから雪ですよ。一晩に1mですからね。高下駄なんかじゃ間に合わないわけです。それを私は馬鹿正直に、2m、3mの雪の中を高下駄を履いて山を下って行ったんです。
ニコル: みんなびっくりしたでしょう?
狩野: ええ。その頃私はヒゲを生やしていましたし、髪の毛を長く伸ばして、散髪に行く金もないので肩のあたりでチャッと縛っていました。それで高下駄を履くんですから、村の人たちが驚きましたよ。「天狗が来た!天狗が来たぞ!」と。(笑)
ニコル: (笑)目に見えるようですね。
狩野: ニコルさんが黒姫に来られてからどのくらいですか?
ニコル: 初めて来たのは1978年で、ここに住むようになったのが'80年です。同じ黒姫にいる詩人の谷川雁さんに勧められたのです。
狩野: ニコルさんは世界中いろんなところに行かれたそうですね。それがまたなんで?
ニコル: 狩野さんと同じですよ。北極、カナダ、エチオピア、それに日本の中でも東京、和歌山など冒険と動物を求めていろんな所に行きました。それが黒姫に来て山を見て、黒姫の姫に恋をしたんです。黒姫と暮らしたら僕の運が良くなるなと思いました。
狩野: 東洋の言葉に「一期一会」というのがあります。ニコルさんとは空手道修行の同門なのですが、それが奥信濃の黒姫山麓でお会いするとは…。何か不思議な縁なのでしょうね。
ニコル: そうですよね。何か神がかり的なことを言うようですが、そうとしか説明できませんね。黒姫に住んでから僕は、人生の総てではないけれども、大部分に納得できるようになった…。やっぱり、僕はこういう生活をするべきだったのだ、と。もう、日本を離れるつもりはないです。仕事や旅行で海外に行くけれど、必ずここに帰ってくる…。

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[宮沢賢治、そして桃太郎学校]
賢治の「デクノボウ」を
ひとつの目標にしたわけなんです
狩野: ところで、今ニコルさんは宮沢賢治の翻訳をなさっているとか。私も興味あるところなのですが、賢治のどこに一番惹かれますか?
ニコル: 彼の自然を見る眼ですね。僕の下手な日本語ではうまく説明できないんですけど「何か不思議な童話だな」と思って読むと、実に深く自然のことをわかっているんですね。
狩野: 宮沢賢治は、土をなめては土の言葉を感じ、風をみては『風の又三郎』のような童話を書き、どんぐりや草をみては『どんぐりと山猫』を書くというように、自然と対話ができるんですね。
ニコル: 彼の体は小さくて強くなかった。だから早く死んだんでしょう。しかし、彼の心は、その小さな胸から飛ぶことができた。そこが好きです。それに「私は神だ」とか「私はあなた方より物知りだ」とか言わなかった。相当な人物じゃないかな、あの人は。
狩野: 私と宮沢賢治との出会いをお話ししましょう。私がここに来た頃は、今のように道が整備されていないものですから、雪が降ると開拓の子供たちは学校に行けないんです。それで私の家に何とはなしに集まってくるわけですよ。

黒姫の子供たちは雪が降ると学校を休んでもいいのかなあ、と思っていたんですけど、当然長期欠席になるんですね。それで最後には二十何名かが私の家に集まって、いつの間にか分教場になってしまったのです。そこで教えるなかで、子供たちに宮沢賢治の童話を読ませたり、聞かせたりする機会があったわけです。ですから、子供たちとの対話を通じて、私は宮沢賢治をより深く知るようになったんです。

ニコル: 子供たちとの対話を通じてですか。いいですね。ところでその分教場についてもっと話してくれませんか?
狩野: 子供たちは小学校一年生から中学生までと、それに幼稚部として未就学児童までがやってきていました。貧しい開拓村ですから、山が教室で山が講堂、山が運動場でした。ストーブもないから小屋の真ん中に炉を切って、炉の周りにまるく机を並べて勉強するわけです。学習法は兄妹学習といって上級生が下級生を教える方式をとりまして、私は私で火吹き竹を片手に「フーフー」と炉の薪を燃やすのに苦労していました。(笑)
ニコル: (笑)さぞユニークな教室風景だったでしょうね。
狩野: そう。子供たちは貧しくていつも腹を空かせていたけれど、分教場と言われるのを嫌いましてね、いろいろ話し合って「桃太郎学校」と名づけたんです。この細々とした学校で、とにかく子供たちが卑屈にならないように、自信を持たせるために、と武道を教えはじめたのです。空手です。空手なら他の武道と違って道具も入りませんし、文字通り"からて"でできるものですから。(笑)
ニコル: よく分かります。(笑)それが現在も続いているわけですね。
狩野: そうです。現在は「古武道桃太郎学校」といって、毎週日曜日終日、礼法、ヨガ、空手、杖道、太極拳を教えています。もちろん今は昔のように学校じゃないですが、当時から、ずっと守っていることがあるんです。
  1. 一生懸命になること。
  2. 礼儀を正しくすること。
  3. 弱音をはかないこと。
  4. 元気を出すこと。
  5. 反省の勇気を持つこと。

の5つです。今ではそれなりの問題をかかえた子が入門してきますが、この5つを約束させて真剣に取り組ませると見事に育っていきますよ。

ニコル: すばらしい約束ですね。
狩野: また賢治の話になりますが、有名な『アメニモマケズ、カゼニモマケズ』の詩に、「デクノボウトイワレタイ」、私はこんな人になりたいとありますね。私はこの「デクノボウ」という言葉に非常に感動しましてね。別の言葉で言えば「阿呆」ですね。私の雅号は「阿呆」にちなんで「呆庵」というんですが、賢治の「デクノボウ」をひとつの目標にしたわけなんです。あの詩にこめられた考え方は世界に通用すると思うんですよ。

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